最近はアンティークカーの値段がとてつもない事になっていますが、それらの車を実際に見ると、非常にコンパクトかつプリミティブな車という印象を受けですが、では、それらの車、この記事では30Zとハコスカが存在した時代とは、どのような時代であったのかを少し書いてみたいと思います。
ハコスカ、30Zが存在した時代1970年になります。今から約50年前です。
当時、四国には高速道路は1つもありませんでした。また、現在松山市に存在する環状線、つまり、4車線の道路自体が、そもそもありませんでした。
それどころか、道路の数自体が現在よりも少なく、また、現在の感覚で言えばほぼ1.5車線の道路の方が多い、そんな状態でした。
また、そもそも特に松山市などの地方においては普通車に乗っている事、それ自体が「すごい」事でした。
当時のスポーツカー、いわゆる2リッターのエンジンを積んだ国産車は、現在の感覚で言えば、外車のスポーツカーを買う、そんな感覚に近い状態だったと言えるかも知れません。
道路状況的にはいわゆる「旧11号線」と呼ばれる2車線の道路が松山市から西条市を結ぶメインストリートとなっていました。
また言うまでもなく、当時はコンビニが全くありませんでした、その代わりにドライブインなど夜遅くまで営業されていましたが。
当然の車にはもちろん、テレビやナビゲーションシステムがあるわけはなく、ラジオがついてれば良い方だったのですが、そのラジオも、ようやく民放が深夜放送を開始し、NHKラジオは深夜放送すら行っていませんでした。
また、生活のスタイル意味においては、今では少なからぬ企業は週休2日制などと言われますが、当時は半ドンと言われる、土曜日は午前中だけ勤務、午後から休み、+日曜日は休み、などの勤務形態がありました。
当時は道路状況も現在とは違い非常に悪く、また、自動車の耐久性自体が現在とは異なり、自動車の走行距離は100,000キロ走ればも次の車に乗り換え、という事が当たり前と考えられていました。
そもそも、車齢が10年もしくは13年を超えると車検は1年ごとでした…。
また、1970年代は多少の波はあれど、日本の経済的成長が真っ只中で、より新しい車に乗り換える事は無条件に肯定される考えだったのです。
そのような意味で考えると、現在まで残っているアンティークカーとは、当然、それなりに手間暇をかけられ、そして、保管されてきたという意味においての、プレミア性を否定はするものではありません。