最近、自動車が非常に大きくなっています。極端に言ってしまえば、軽自動車のサイズと3ナンバーのサイズに2分されてしまっているような状態とも言えるでしょう。実際、車を運転する時は軽自動車のサイズが一番運転しやすいと思ったりはするのですが。
さて、自動車の大型化という事については実は道路の発展も大きく関わっていたりします。私のファクトリーは松山市で運営しているので、道の発展という事で非常にわかりやすい例として空港通りを挙げてみたいと思います。
まず、旧空港通りがありますが、非常に道が細いです。そして、ゆっくり走っているとわかるのですが、旧空港通りの沿道にはお寺や神社や古くからある商店などがあります。これは明治時代以前から道です。ちなみに当時は空港ではなく、海軍の飛行場でした。
こんな細い道で空港、飛行場への資材が本当に運べたのか?、と考えると現実的には海からの資材の搬入や、鉄道で松山駅まで資材を運んでおいて、それを旧空港通りから運ぶ、などのような使われ方をしたのではないかと考えます。
その後、戦後になり海軍の飛行場が松山空港として開港する事になります、その際に作られたのが無印の空港通りです。そのため、無印の空港通りの周りには工業団地的な状態となっています。
ちなみに無印の空港通りがメインストリートとして使われていた時代の自動車は、カローラやサニーは今の軽自動車のサイズとほぼ同じでした(正確には全長が30cm程度長い)。
現実的には、バイク(当時はヘルメット不要)や、スバル360や、ホンダN360といった今の軽自動車よりもはるかに小さい軽自動車が庶民の足であったとは思いますが。
ちなみに、この時代の自動車とは国産車は、ほぼ全てが5ナンバーサイズで収まっていました。いわゆるフラッグシップのクラウンや、セドリックなど、ほぼすべて、です。
さて、その後、無印空港通りに大渋滞が発生するようになると、新空港通りが作られます。
新空港通りになると、4車線化され、そして、市内中心部から一直線に空港に行きます。 途中に大きなトンネルもあり、また、カーブなどもなだらかです。
これは通行量の増加や道路建設の技術の進化などによる結果です。
この3つの空港通りを走り比べると、時代の流れ、そして、道の幅の広さ、道の方建設技術などを、実際の歴史として親しむ事ができます。
また、道路とともに歩んできた自動車がなぜ、大型化したのか、という意味もよく知る事ができるのではないでしょうか。